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スーツに染みた汗のシミ

クール・ビズのごときはクソ喰らえ、とばかりに毎日タイをしめてスーツ姿で出勤している時代おくれのオッサンであるわたしは、戦い終えた帰宅時には事務所をあとにした途端にタイをゆるめてジャケットを脱ぐ。そしてコンビニへ寄ってだいすきな焼酎の緑茶割りをかって飲むのである。飲む場所は電車のなかである。ついでにいうと帰りの電車は上りなのでだいたいガラガラである。けれどわたしは座らない。通勤の途中だからである。電車のなかで座って飲むのは旅のときに限るとかってに決めている。

そうはいっても、そんな自分を第三者の視点から俯瞰するなら、仕事に疲れただらしのないサラリーマンがJR車内を立ち飲みの居酒屋と勘違いして飲んでいる、そうなるだろう。まぁ、だれに迷惑をかけているわけではないから、と本人は開き直っているのであるが格好悪いことは自覚している。

そんなわたしがひどくガッカリしたのは、手にしているグレン・チェックの大切に着ているジャケットの背中にまるで世界地図のような汗ジミがあることを見つけてしまったから。

これにはまいってしまった。うしろから見るわたしの姿は、おそらくひどく滑稽だったろう。暑いなか、やせ我慢しているだけになおのこと哀れだ。
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# by hidyh3 | 2017-07-20 12:35 | Comments(0)

酔って候

いぜんにも書いたとおり、すぐに醜い赤鬼へと面貌を変えてしまうけれど、わたしは酒呑みである。そして酔ってもたしょう理屈っぽい議論を吹っかけるていどで、泥酔とか撃沈ということはない。だから「おまえと飲んでも面白くない」といわれる。たしかにそうだろうね。

休職が空け、先週半ばからフルタイムの出勤となりようやくむかえた週末には息も絶え絶えであった。朝には服用したことのない坑うつ剤をのみ、とにかく平穏な状況をイメージすることに努めた。

こともあろうに酔ってしまったのである。ひとに、ひとのことばに、ひとの表情に、泥酔してしまった。

4か月のあいだ妻と精神科医のほかとはだれとも会わず引きこもっていた中年のオトコには、ショクバというさまざまな雑音やら不意の車線変更があたりまえの現実は、予想以上にストレスフルなのだった。ラ・ロッシュフーコーが、格言というものは過去や未来の困難には打ち勝つが目のまえの現実にはかなわない、というようなことをいっていたと記憶しているが、そのとおりである。

「1週間なんてあっという間だよ」

そういえるのは終わってからの感想なのであって、その日1日をとにかくやり過ごすのが精一杯のわたしには、半日が、午前10時から11時までの1時間が、永遠に思われる。







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# by hidyh3 | 2017-07-16 08:55 | Comments(0)

古戦場めぐり

暑いね。

その日も東京の最高気温は34度あたりだったと思うのだが、10時ころに朝・昼兼帯の食事をとったあと散歩にでかけた。ふだんであればそのまま昼寝してしまうけれど、なにしろ4ヵ月も自宅に引きこもっていたから、身体を動かさないとダメだよなぁ、というとても消極的な発想で家をでた。

その時点では行き先など決めていなくて、まぁ自宅近辺をふらつくか、と思っていたのだが、なにしろ暑いからただふらつくだけでは面白くないと思い、都営三田線に乗った。神保町に着いたとき、これも考えなしに電車を降りた。神保町はわたしが中学生のときまで暮らしていた街なのでいわば故郷である。だからこの駅で降りたのは帰巣本能のようなものなのかもしれないが、ここには頻繁にきているのであらためて行くべき場所があるわけでもなく、あてもなく歩いていた。

そのうちにふと「古戦場めぐりでもしてみるか」そう思った。ここでいう「古戦場」というのは歴史的旧跡のことではない。

わたしが仕事でいちばんつらかったころを過ごしたところへ行ってみよう、というわけである。地名でいうと大手町と赤坂。大手町は担当していた企業がある場所、赤坂のほうはその当時の勤務地である。そこでの5年間はとにかくつらく、若かったからしのげたが今だったら完全にノック・アウトだろう。なにしろ地下鉄の赤坂駅で事務所に戻るのが嫌でホームのイスに1、2時間ほど座り込んでいたほどであった。それも2回や3回ではない。心拍数があがり呼吸が浅くなって苦しみながらの逃避行なのだった。

ということで古戦場ツアーが始まった。

神保町から大手町はどうということのない距離である。皇居前にでて堀の水面をながめながら歩いているうちに気象庁が見え、ほどなく古戦場のひとつに至った。やはり感無量である。記憶の底に沈殿していた顧客とのさまざまなやり取りのいくつかが浮かびあがってくる。その企業は世界中に拠点がある大企業なので、記憶に登場するひとたちは遠い異国にいるのだろうな、わたしは老いて何も変わっていないのに。

しばし過去を彷徨したあと、ふたたび現実のみちを歩きはじめる。

大手町から日比谷公園をぬけて虎の門方面に進路をとった。外国からの旅行者がおおい。かれらから見たら汗まみれになってただ歩いているだけの東洋人はどう写るのだろう。

その日のわたしの服装はショートパンツにボタンダウンシャツ、そして素足にデッキシューズだからおかしくはない。まぁ、だれも気にもしていないことはあきらかだ。

工事中の虎の門病院のわきをとおり溜池へでた。

このあたりまでくると、ほふく前進を必死にやっていた若き自分が見えてくる。交差点をわたりしばらくして斜め左に曲がる。すこし進むと政治家たちが会合に使うであろうひっそりとした料亭がそこかしこにある。そういえばこの近辺のクリニックに勤務中に来て点滴を受けたことがあったな。あれはなぜだったか、忘れてしまった。まぁ、ここは戦場でわたしは兵士だったのだから点滴ぐらいするよな。

そうこうするうちに、かつてのオフィスのまえに来た。いまはべつの企業がはいっているが建物はそのままである。地下鉄赤坂駅から直結するこのビルも経年のためかなんだかみすぼらしくみえる。あんたも歳をとったんだねぇ、かつての戦場跡に声をかける。当時ここのオフィスには日本を代表する超大手企業や中央省庁を担当する営業の精鋭たちが集まっていたのだ。まぁ、ちょっといやな表現になってしまうが、わたしの勤めている会社の花形集団だったわけである。その部門で仕事をするということは、あの当時全国の営業マンの最高の名誉だった。だからこそ重圧もおおきく、つらかったのだが、しかしながらそのおかげでごくわずかの人間にしか体験できない世界を生きることができたのだった。

なにごとにたいしてもこらえ性のないわたしは、そんなあこがれの職場に5年でネをあげた。

この営業部隊のトップに、わたしが元いた部隊 -並の営業マンがいるふつうの都内の営業所に戻してほしい、そう直訴したのだった。なりふり構わないたびかさなる懇願、哀願のおかげで数か月後に異動の辞令がでた。異動先はわたしの想像もしていなかった熊谷という地の、しかも営業マネジャーだったのである。

とうじの住まいからの距離だと熊谷に単身赴任という選択肢もあったが妻が反対した。

あんたが独り暮らしなんかしたら100%オンナと同棲する。現地妻をつくること必定というわけである。なんとも鋭い観察で、きっとそうなっていただろう。そんな理由で新幹線通勤という、これもまた刺激的な形態となったのだった。



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近くまできたので、ほんとうに尊敬する勝安房守さまにご挨拶して古戦場をあとにした。















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# by hidyh3 | 2017-07-10 17:47 | Comments(0)

音にこだわるひとたちに - 初心者危険!

世のなかのオーディオ好きのかたに是非ともご感想をいただきたく、この小文をつづる。

あなたのお好きな音楽のジャンルが何であってもかまわない。

JAZZでもClassiqueでも、懐かしいフォーク・ソングでも演歌であろうとも、まったく問題なんてない。

ご自宅の、あるいは別荘にあるご自慢のプレイヤー×アンプ×スピーカーで聴いていただきたい。できるだけ大音量で。そしてそのお気持ちをお聞かせいただければ幸甚の至りである。

その曲はベルリオーズ作曲「レクイエム」の「Tuba mirum」。日本語だと「奇しきラッパの音」となる。

たいていはトラック2の「ディエス・イレ」から連続して演奏されるのでひとによっては退屈してしまうおそれがある。ということでお薦めはエリアフ・インバル指揮、フランクフルト放送交響楽団のCDである。

このディスクだとお薦めのところがトラック3に分離されているのですぐに聴ける。演奏もいい。

どうしてこの曲をわたしがお薦めするのか?

理由はかんたんで、およそ考えられる楽器をすべて使っているから。しかも大人数で。

その編成があまりに巨大すぎて実演はほとんどされていない。ひとつの楽団と合唱団では足らないからである。お聴きいただきたい箇所でいうならテインパニ奏者だけでも8人必要だ。そのうえシンバルが10、銅鑼が4、大太鼓そして「バンダ」と呼ばれる別編成の管楽器部隊が東西南北の4つ求められる。

あのベルリオーズがフランス政府から依頼されて作曲したのだから、これはもう音の狂乱になるほかはない。


かりにあなたがこの「Tuba mirum」で関心をもっていただけたらDISK2の「サンクトゥス」も聴いてほしい。

清らかで、美しいフーガがあなたのいる空間をかぎりなく透明な天空の色に染めてしまうだろう。







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# by hidyh3 | 2017-07-07 16:51 | Comments(0)

音楽の捧げもの

前回のブログにコメントを頂戴した。

備忘録、あるいは怠惰な日記のつもりで書いていたのでまさか読んでいただけるとは思ってもいなかった。

嬉しかった。たとえて云うなら、まったく売れない小説を綴っている作家のような心境だったので、

 「!」

という感覚だった。

読んでいただいて、ほんとうにありがとうございます。

コメントへのお礼として音楽の本質にすこしばかりせまってみたい。


音楽はとうぜん「音」で創られる。そしてその「音」も12個しかないのである。この事実をひどく卑近に換言すると、ダイコンとキャベツ、そして豚肉、イワシだけで、春夏秋冬、朝昼晩、東洋西洋に万能のおかずを作りなさい。制限時間は15分、ということだろうか。

なにが云いたいのかというと、音楽はたいへん制約がおおい芸術だ、ということ。

たった12個の意味もなにもないただの音から、無限にして人間を叩きのめすようなバケモノが現れるのだ。

フリードリヒ大王の思いつきから発した旋律をバッハは徹底的に使い尽くして献呈する。

これはもう、贈られたほうが「参りました」というしかないだろうな。







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# by hidyh3 | 2017-07-05 19:08 | Comments(0)

レコード・ブームにおもう

まだカセットテープが全盛だったころFMで放送されるクラシック番組を録音するのが一般の音楽好きの流儀だった。


名だたる音楽家のライブ演奏などのときはとりわけ念入りに準備をし、カセットテープも「特上・上・並」のような区分けがあるなかの「特上」のテープを使ったものである。わたしはいわゆるオーディオ・マニアではなかったからその程度ですんでいたが、ほんものの「音キチ」となると専用のアンテナを屋外に立て、高額のオープンリールのテープで録音していた。


いちどそういうひとの家で聴かせてもらったことがあったが、その音があまりにいいのに驚ろかされた。レコードが鳴っているのかエア・チェックされたものなのか区別できないレベルだったが、当時からわたしは集合住宅暮らしだったので音量をあげるのにも神経をつかうためオーディオ装置に狂う余地はなかった。さいわいなことである。


さいきんレコードが復活していると聞く。


ニュースなどでは「あたたかみのある音にいまの若いひとたちは惹かれている」などといっているが、正直なところわたしにはその「あたたかみ」がよくわからない。


かつてレコードで聴いていたものとまったく同じ音源のCDをいまは聴いているのだが、CDで満足である。精緻に聴き比べたわけではないから、もしかするとそれなりの機材と環境のなかで比較したら違うのかもしれないが、そこまでしようとも思わない。


演奏会にいって目のまえで鳴る音と自宅の機械によるそれとでは違うのはあたりまえで、ホールを自宅に再現したいなどとは露ほども思わないが、マニアはそこを追求するらしい。先日もある音キチと話しをしていたら「いい音を追求しようとしないあんたの気がしれない」とあきれられた。その御仁はカーオーディオの製作を生業としているから、わたしのように音に怠惰なものはいわば敵、ないしは悪なのである。


どうせ聴くならいい音で もちろんその気持ちは理解できるし当然の欲求だろう。だがわたしにとっての音楽というのは空気とか水とかとほぼ同じ存在なので、あるかないかが先決かつ大問題だから、おいしい空気を吸うためにわざわざどこかへ行こうとは思わないのに等しい。とはいえさすがに20世紀初頭の雑音のかなたからか音楽らしきものが流れてくるのにはお手上げだが。


ふだん眠りにつくときはiPhone本体からながれてくるバッハやドビュッシーを聴きながら眼を閉じる。


わたしにはそれだけでもう充分なのである。
















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# by hidyh3 | 2017-07-05 08:07 | Comments(2)

レクイエム

知りあいの父君が亡くなられた。

少しまえに書いたのでくり返しになるけれども、父君は末期のがんで入院をしていたがどうしても自宅に戻りたい、という本人の意思を家族の方々が受け入れ、困難を覚悟のうえで在宅に踏み切ったのであった。予想どおり、いや想定外の障害がまちかまえていて、家族のあいだにもきしみが生じたとのこと。

わたしはホームヘルパーの資格を取得したときに老人介護施設で4日間実習をしたから、間接的にではあるが知人がぶつかった壁の高さと厚さはおおよそ理解できた。たいへんだったろうとこころの底から思う。けれど、このことにまさる親孝行はない。自宅で親を看取るという、むかしは普通だったことがいまは稀有なこととなった。わたしは最愛の母にそういう最期を迎えさせてやれなかったことをいまでも悔やんでいる。だから知人がたいへんな苦労のなかでおこなった現実を讃えたいし、ねぎらいたい。

よくやりきりましたね。立派なことです。尊いことです。高潔なことです。

勇気に満ちたそういう行動をきくにつけ、たかが職場のことで精神を病み休職していた自分がどれほどちっぽけで情けないものかを知らされる。

わたしは、今のわたしにできる最大限のことをした。ベルリオーズのレクイエムをながして父君のご冥福を祈った。







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# by hidyh3 | 2017-07-03 18:31 | Comments(0)

金曜日の感想

「過去に眼を閉ざす者は、未来に対しても盲目となる」

いまや人類の至宝と評してもいいであろう名言である。かれ、ヴァィツゼッカ―氏の父親はほかならぬナチスの外交官だった。ドイツは過去の2度にわたる世界大戦のいずれも敗戦国でありながら、現在のEUにおける事実上の盟主でありユーロ経済圏の支柱である。さらにはれっきとした軍隊を有しNATOの加盟国でもある。

わたしは国際政治学者でもなければ歴史学者でもないが、それにしても国際社会における「旧敵国」同士の日本と較べると彼我の相違にいささか驚かない訳にはいかない。

ドイツはかつての残虐行為に対して徹底的な自己批判をし、冒頭のような箴言を大統領みずからが演説するという国家的反省をおこなっている。そのことが日本との国際的地位の差異を生んでいる ― そう理解しているひとがいるとしたらそれは感傷的で安易に過ぎる。

ヨーロッパの国家間あるいは民族間にはたらく力学あるいは優越・劣等の意識は複雑かつ錯綜して血ぬられた歴史のうえに成り立っているので、足したり割ったりなどの算数レベルでは論ぜられない。さらにそこへ宗教という日本人には金輪際理解できない要素がからんでくるのでわたしたちにはぜったいにかの地のメンタリティー(もちろん本音のもの)など理解できるはずがない。

そういう侵略と征服のくりかえしがヨーロッパの歴史の核心なので、こんなことをいうと「ちゃぶ台がえし」めいて本意ではないのだが、ヨーロッパをわたしたち日本人は永遠に理解できないだろうと思う。ただ誤解してほしくないのだが、ヨーロッパのことごとくが善あるいは進歩的であり日本がいつも悪かつ後進的などと単細胞的なことをいいたいのではない。

ただ、冒頭のような認識をわたしたち日本人がひとしく共有しているかと問われたら、首を立てには振れないだろう。

日本がどうしてドイツのような国際的地位をえられないのか。それはわたしたち日本人が自国の歴史をふくめた文化を理解していないからである。これは国粋主義と紙一重の、たいへん理知的な認識なのだが、それを持たないかぎり国際社会での存在を主張できないだろう。








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# by hidyh3 | 2017-06-30 17:04 | Comments(0)

月曜日の夕暮れ

職場に復帰して2度目の月曜日をむかえた。

久しぶりに、ほんとうにひさかたぶりに日曜日の夜の、あの重苦しい気分を味わった。そうはいっても今週末までは午前中だけの勤務なので、まだまだ幼稚園児みたいなものである。

会社に行くことで面倒なのは衣類の洗濯だ。

わたしは、自分のものは自分で洗い、かつ干すので、ワイシャツなどはひどく面倒である。かりにアイロンをかけなくても見苦しくないように乾かすためには、それなりの技術が要るからストレスではあるが、儀式みたいなものでやむを得ない。

ちょっと前まではダブルカフスをカフリンクスで留めるのがわたしにとって思考回路を仕事モードに切り替える朝のたいせつなじかんだったのだけれど、休職空けからはひどく大儀である。かといって、半袖のボタンダウンにノー・ネクタイ&ノージャケットというのは、わたしにとってはズボンのファスナーを開けたまま平気で歩いているようなものだから考えられない。

歳のせいか汗もかかなくなってきたので何とかしのげるのだが、他人からみたら暑苦しく見えるのだろうな…

いや、そもそも周囲はわたしがおもってるほどわたしを気になんぞしていない。







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# by hidyh3 | 2017-06-26 19:44 | Comments(0)

音響の天才

ここで何回もかいているのでいまさらなのだが、わたしは12歳のときからいわゆるクラシック音楽を聴いていまに至る。きっかけはヘンデルで、それからブラームス → ベートーヴェン → モーツァルトと続くことになるので、和声的にいえば安定した曲を聴いてきたわけだ。

したがって半強制的にブルックナーを聴いたとき、その不揃いな和音と半端な形式に苦労したのだが、どういうわけかリヒャルト・シュトラウスは素直に聴くことができた。登校前の不穏な心持ちをおさえるために「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」の後半部分、あるいは「祝典前奏曲」の冒頭や終結部を聴いていたものである。

和声的にいうならブルックナーなど吹き飛んでしまうほどに過激であり、シュトラウス自身が「無調な音楽を書いた」というくらい調性をぶっ壊すことに情熱をそそいだのだが、どうして古典的な調和に親しんでいたわたしの耳がかれのサウンドを拒絶しなかったのだろう?

このことは長年の疑問だったのだが、先日みごとに氷解した。

ある指揮者が「棒を振るのに苦労する曲、あるいは振っていて法悦にひたれる曲」について述べていて、後者の、指揮者が響きに酔いしれてしまう曲の筆頭に「ドン・ファン」をあげていた。かれいわく、すべての楽器がもっとも美しく鳴るようにこの曲は書かれているのだとか。

音楽にかぎらず、料理でも編みものでも会社組織でも具材やあるいは素材、人数が多くなればそれをまとめて完成形にちかづけるのは易しくない。つまり数が増えれば呼応したテクニックや手腕が求められる。

楽器の数からいうならリヒャルト・シュトラウスとマーラーは常軌を逸したともいえる双璧であるが、この2人の書いた曲を聴けばその質の違いにおどろく。明と暗、清と濁、そんなところか。

さてシュトラウスは歌劇をもっとも愛していたから多くの作品を創った。と同時にかれが崇拝していた作曲家がモーツァルトであることも有名だ。この2人は、いわば対極に位置する芸術家ではあるが、多くの共通点がある。その最たるものが歌声を楽器と見立てていたことである。

リヒャルト・シュトラウスの響きは、澄みきった秋の空と似ている。










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# by hidyh3 | 2017-06-24 11:00 | Comments(0)

あまり他人事(ひとごと)じゃない

あげあしを取るつもりなんて微塵もない。

だが乳児をもつ母親がベビーカートの危険性について問われ、

「あまり他人事(ひとごと)じゃないですよねぇ」

そう答えた。NHKのニュース取材で。

この女性がわたしの母でなくてよかったなぁ、と心のそこから思った。

まぁ、所詮はひとごとですから。

おっと、「あまり」を書き忘れました。






























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# by hidyh3 | 2017-06-22 17:13 | Comments(0)

進化する天気予報

自然は生きものではない。でも生きものは自然のなかにいる。

コトバという高度な道具を習得してしまった人間という生きものは、だから森羅万象を人間にみたてて説明するという奇策をあみだした。これはおおいに有効で、ほんとうはよく判っていないことでも判った気になってしまう。いわく「ガンが怒りだした」とか「こころが騒ぐ」とか。

だが、おそらく最もひんぱんに用いられるのは天候を擬人化することではあるまいか?

自然科学の領域でわたしたちの日常にいちばん影響するのは気象だから、説明するほうもされるほうも人間にたとえることで理解あるいは納得感が強くなるわけだ。

むかしは見上げるものだった空も、技術進歩のおかげで見下ろすことができるようになった。天気予報の確度はそのことでおそろしく高まったわけだが、だからといって自然現象が安易になったわけではない。天気予報をまるでクイズか何かのようにあつかっているニュース番組があるが、冗談もいいかげんにしておかないととんでもないしっぺ返しを喰らうことになるだろう。

相手は感情や意思などない大自然なのである。パスカルのいうとおり、人間を倒すことなど自然にとっては何ほどのことでもない、などと人に擬しているわたし自身が恥ずかしい。








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# by hidyh3 | 2017-06-21 17:20 | Comments(0)

みなさま、離陸いたします

休職さいごの土曜・日曜となった。知悉している職場だし仕事だから、なにを今さら、と笑われそうだが、でもやはり緊張するし、憂鬱になる。

会社にいくことが日常化してしまえば消えてなくなる感情であることはわかっている。まして先日かいたように拘束され、制約をうけることによって初めて解放の価値を実感するのだから、云い帰るなら自由を得るために出社するのである。

とはいえ、4ヶ月つづいた生活パターンを変えることはニュートン力学でいう加速度をかなりつよくかけるわけだから、どうしたって衝撃はさけられない。大好きな飛行機にたとえるなら、ちょうどわたしはいま目のまえに延びている滑走路を駆けるべくエンジンの出力を上げるところだ。チーフ・パーサーの、魅力的なアナウンスがひびく、あのときだ。

「みなさま、離陸いたします」

Bon voyage !!










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# by hidyh3 | 2017-06-17 16:01 | Comments(0)

円熟のむづかしさ

昨晩は古い友人とひさしぶりに飲み交わした。

かれとは会社の先輩・後輩というかたちで係わりが始まったのだが、いつしか趣味の領域での交流が深まり、かれに有ってわたしに無いもの、あるいはその逆のキャッチボールという、たいへん理想的なつながりをもちながら今日まできた。お互いに異動などもあるので会社という場においての接点はたかだか5~6年ていどだが趣味の世界におけるそれはもう30年ほどになるだろう。

もの静かで育ちがよく、寛容でどういう状況でも激するということはない。山と音楽と文学と、そしてこよなく女性を愛しまた愛されるという典型的なディレッタントなので、わたしのような狂犬が吠え立ててもさらりとかわされてしまう。だからこそいままで絶えることなく交友が続いてきたといえる。

このての人間関係のつねとして会うのは数年に1回ていど、そして会ったときも旧交を温めるというようなことは皆無で、空白の時期の、たとえば音楽から獲得した世界観とか文学の海でたどりついた島の景観などを話し、聞くのがたのしみなのである。

かれは自身を「変わり者」で「友人のいない孤独な男」と称するが、わたしのようなサラリーマン不適合のものからみればまったくその認識は誤りで、事実かれがひと声かけさえすればたちどころに数人の男女が集うので、それはかれの人徳みたいなものだから本人は気付いていないのだろう。いずれにしても、かれはきわめて真っ当なおとなの男なのである。

昨晩は、したがって以前に会ったときとの差異をボンヤリと想定しながら飲んだのだが、とても残念なことにわたしの期待は裏切られてしまった。

ひとことでいうと、昨晩のかれはことばを吟味せずに発する読書と登山を趣味とする只の中年サラリーマンだった。

このブログで最近ブルックナーという作曲家についていくつか書いたが、それらはすべて昨晩の話題として、あるいはかれからの問いへの答えとして書いたものだったのである。事前にそのことを伝えていたが、かれはまともに読んでくれてはいなかった。

だから、昨晩わたしは友人をひとり失った。もう会うことはないだろう。

人生はそういうことの連続なんだな。 今さらめいてウンザリだが…









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# by hidyh3 | 2017-06-15 10:17 | Comments(0)

醜い赤鬼

わたしは酒が大好きで、酒なしの人生は考えられないし、やめられない。やめるつもりもまったく無い。

だが、とても残念なことに体質がアルコールにひどく脆弱で、缶ビール1本程度で顔が真っ赤になり頻脈となる。アルコールを分解する酵素がかなり少ないらしく、たいていこの領域に属するひとは「飲めない」ほうに分類されるし本人も「飲めない」と自覚して「飲まない」のである。

大学生になりたてのときはわたしも「飲めない」性質だったので所属したテニス・サークルの「新歓合宿」最終日の酒宴でむりやり飲まされ苦しい思いをした。あとから聞いた話しでは救急車を呼ぶか否かという状態だったらしい。

会社にはいってからも状態はさして変わらず、上司や先輩、あるいは同期入社の連中と飲みにいかされ、帰路ほぼ100%吐いていた。あのころは飲めるか、飲めないかが社会人として適・不適のバロメーターみたいな、いまから思えば狂気の沙汰としかいいようのない空気が日本にはあったので、飲んで吐くのも仕事のうち、そんな悲愴きわまる決意で飲んでいた。そもそもお酒にたいして無礼千万だよね。スミマセン…

いつもいうように「克己」とか「苦手なものから逃げずに克服する」という精神がわたしには完璧なまでに欠如しているので、酒が飲めるようになろう、などと勇ましい自虐行為はいっさいしなかった。だが、人間の、というよりも生きものの環境適応反応はものすごいポテンシャルがあるとみえ、齢30を越えるあたりから飲むこと、酔うことが苦痛でなくなってきた。

星霜をへたいま、わたしはアルコール依存症と診断されてもまったくおかしくない人間に変身した。いくらでも飲めるし、かつ酔っても人格が替わってしまうようなこともない。このことは複数の第三者による証言があり「おまえは酔ってもぜんぜん変わらないからつまらないなぁ」そういわれる始末である。いいのか、わるいのか。

ただひとつ、むかしも今も変わらないのが冒頭で述べた顔が赤くなることと頻脈である。飲んで顔が赤くなるひとは、ならないひとと較べると60~70倍の確率で食道がんになる、といわれているので毎年の人間ドックでは内視鏡を飲んでいる。酒どうよう、初めのころは苦しかった内視鏡もいまでは実にうまく飲む。

わたしがとても残念なのは、飲み屋などで途中トイレにいって鏡のなかの自分の顔をみたときだ。

そこにいるのは恥ずかしいほど醜く、弱々しい赤鬼なのである。








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# by hidyh3 | 2017-06-14 12:25 | Comments(0)

トンネルの先にあるもの

産業医との面談が終わった。

わたしの内側をつぶさに点検するような問答が続き、そして

「来週から出社にしましょう」

ドクターはそう言い、人事担当者を呼ぶために部屋を出ていった。しばらくはリハビリ出社ということでフルタイムの勤務ではないのだが、朝おきて会社にいく、という普通の日々が再開されるわけである。

なんら束縛のない休みが4ヶ月もつづくと休日のありがたみが無くなる。

「労働は尊いものだ」とか「働けることに感謝せよ」などという精神からいちばん遠いところにわたしはいるので、労働を神聖視するセンスなど金輪際ない。けれども断言できるのは、規則とか束縛がないと生活は荒れる、ということだ。

曜日にたいしての感覚が無くなり、1日とは眠るまでの時間をやり過ごすために目覚めているだけの状態、そうなってしまう。つまり使い放題の時間なんて意味がない、ということになる。といってこの4ヶ月間なにもせず寝ていたわけではない。沖縄に行き、蓼科に行き、下田に行き、そして函館から帰ってきた。旅の前日が休みであり、旅の翌日も休みだった。翌週も先週も休みだった。たとえばゴルフの打ちっ放しに行き、100球を打ったなかの5、6球がナイスショットだとしても記憶には残らない。マズい例えだが、でもわたしの気持ちはそんな感じである。

これを敷衍すると、ありあまる大金があっても意味がない、ということになるのではないか。

死ぬからこそ、生きることに意味がある。修得が難いから学ぶことの価値がある。

人生の真理は、したがって逆説的な表現にならざるを得ないのだろう。

「明日をもっとも必要としない者が、もっとも快く明日に立ち向かう」

古代ギリシアの哲人がのこした言葉である。








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# by hidyh3 | 2017-06-13 12:08 | Comments(0)

開陽丸の航跡

先週末、妻と函館にいってきた。この街は恩のある大切な場所なので、行くたびに敬虔なこころ持ちになる。

港町がすきだ、と前に書いたけれど、長崎や神戸、横浜とは別の意味がここにはある。ちょうどいま幕末のことをしらべているので機会としては最適なのだが、訪れる地の歴史をどの程度しっているかによって受ける印象や感慨に劇的ともいえる差異があることを、この旅でも思い知らされた。

安政の条約締結によって神戸や横浜とならんで、ここ函館も開港した。当時は「函館」ではなく「箱館」と表記するのだが、安政以前から箱館は「北前船」の主要地として発展していた。したがって徳川の直轄地となり「箱館奉行」なる役職がある。もちろん奉行所もあった。いままでの訪問で知らなかった「箱館奉行所跡」にも今回は挨拶をし、さらにはいまのわたしをこうあらしめた亀井勝一郎の生家跡でも頭をたれてきた。…わけのわからない悩みの奈落にいた高校生のとき、亀井さんはわたしを救ってくれた。あのひとの著書と出会わなければ、いまのわたしは100%存在しない。



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幕末開港の他の港町と箱館が決定的に異なるのは、この地が明治維新の最後の戦場だったという事実である。箱館を占拠した徳川がたの人々のなかで筆頭にあげるべきは、やはり榎本武揚 - 本人は「榎本釜次郎」となのっていた - だろう。榎本は敗戦後、本来ならば処刑されてもおかしくない立場だったが当時の政治情勢などもあって牢につながれることとなる。わたしが箱館でいつも想いを馳せるのは榎本とともにこの地でたたかい散っていった名もなきフランス人兵士たちである。

よく知られているように幕末の薩摩・長州の後ろ盾になっていたのはイギリスであり、徳川を支援していたのはフランスだった。思惑はいうまでもなく新しい時代の日本市場を主導しようというものであり、残念ながら勝安房によってフランスは徳川幕府から解雇されるのだが、勝の判断に承服できない幕臣もいたし、なによりそういった権力からの強制を嫌うのがフランス人の持ち味だから、本国に帰還する同僚を横目にしながら負けると判っている榎本と運命をともにしたフランス兵たちの心中はいかばかりであったろう。

もちろん彼らの墓におもむき、新緑がまぶしい箱館山と突き抜けたような青空をながめながら「函館どっく前」から市電に乗って街に帰ったのだった。


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旅は、それ自体もちろん楽しいが、訪れるかの地での悲喜こもごもを知ると容貌が変わってくる。それがいいのだ。

 いにしえの ことの名残りは草枕 旅のしとねに あらわれては消ゆ


ちょっと気取って詠んでみました。












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# by hidyh3 | 2017-06-12 10:37 | Comments(0)

白熱教室

久しぶりにNHKのBS放送でマイケル・サンデル教授がファシリティトするディベート番組をみた。テーマは「トランプ大統領の政策を支持するか、しないか」、参加者は学生ではなく農場主や主婦、あるいは鉄工所の労働者、弁護士、不動産経営者、レストランオーナーなどさまざまで、トランプ支持派と反対派 に分かれての討論だった。

こういう番組にはおそらくおおまかなシナリオがあるだろうけれど、それにしてもサンデル教授のファシリティションはやはりみごとである。とくに水際立っているのは、対立する双方の意見を述べさせておいて簡潔に要約し、むりなく次のステージへとはなしを転調させていく手腕である。会議だとかミーティングの司会役をつとめたことがあるひとなら誰でも体験していると思うが、発言者にもそれなりの満足感をおぼえさせながら会議そのものを破綻なく収束させるというのはまったく簡単ではない。

こういうことを可能ならしめるのは、なんといっても膨大な知識と、そしてかずかずの対立する意見を短時間で消化しシンボル化する能力である。対話におけるスキルのひとつに「傾聴」があるが、サンデル教授はその名人であると同時にキャッチボール、それも返球の名手でもある。返球の球筋ひとつでそのあとの展開はまったくことなる。

けっきょくは知識と機転、そういうことになるのか。

そして、さらにたいせつなのだが、発言する側も臆することなくみずからを主張するということ、である。わたしたち日本人にいちばん足りなく、かつ、文化的なバックボーンからも修得しづらい。残念だが、これでは世界に通用しない。









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# by hidyh3 | 2017-06-08 14:32 | Comments(0)

時代の証人

一昨日はまたしてもペシミスティックな嵐に翻弄される予感があったので、こういうときは早く寝るにかぎるから処方されている睡眠導入剤3種類と睡眠薬3錠、そして抗うつ剤2錠を服用し19時ころベッドに横たわった。

陽が長くなってきたので灯りを消した窓のそとにはふかい藍色の空にあかね雲がひろがっている。

読みかけの本でもめくりつつ眠ろうかとも思ったが、せっかくの初夏の黄昏を眺めながらの眠りだから音楽を聴いて、ということにした。

ブラームスのピアノ協奏曲第1番、バックハウスのピアノ、ベーム指揮ウイーン・フィルの演奏。1953年6月の録音だから当然モノラルである。

個人的な意見であるからご賛同いただけるか否かは不明だが、かれ、ブラームスが書いたオーケストラ作品のなかではこの作品15の協奏曲が最高傑作だとわたしは思っている。息苦しいまでに緻密かつ重厚で、およそコンチェルトという領域には似つかわしくない曲調だが、そこがまたいかにも彼らしいではないか。

よく知られているようにこの曲はもともと交響曲とするために筆をすすめた。

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うえの譜面をご覧いただければお察しかもしれないが、名曲らしい風貌はまったくない。
試行錯誤のすえピアノ協奏曲として発表されたのだが、かれが書いたほかの作品とおもむきが異なるところがおおい。

まずいきなり第一楽章で問題が発生する。音楽にとって最重要であるテンポの指定がないのである。ブラームスが指示したのは「マエストーソ(厳かに)」だけ。まぁ「厳かに」と指定されれば快速に軽々しくとはいかないだろうが、それにしても選択の幅がひろすぎる。こういうものの常として「業界標準」のような雰囲気があるから演奏者によって極端に違いはないのだが、そうはいってもやはり決定打が欲しいところである。

ということで前述のバックハウス、ベーム、ウィーン・フィルの登場だ。

かれらに共通しているのはブラームスが生きていた時代の空気を日常感覚で知っていること。とくにバックハウスは生前のブラームスの前で演奏した経験があり、ベームの師匠はオイゼビウス・マンディチェフスキーというブラームスの親友だった。そして録音当時のウィーン・フィルの古参にはブラームスの指揮で演奏したものもいた。この録音は、つまりブラームスの時代と連続しているのであって正真正銘のホンモノである。

知っているひとも多いとおもうが、この曲のテンポをめぐってグールドとバーンスタインが1962年9月のニューヨークでの演奏会で衝突した。録音も残っているので聴くことができる。第1楽章の始めはたしかに遅くやたらと重々しいが、途中から一般的なテンポになっていく。グールドというピアニストはやたらと曲のテンポを弄ぶので、たしかに面白いし才気にみちてはいるが正統とは呼べないだろう。

このコンチェルトはブラームスのほかの協奏曲と同じようにソリストに求められる高い技術力が聴衆には判らない。おそらくはそれがブラームスの天性なので、かれは技巧をひけらかすような見世もの的華やかさを卑しんだのだろう。それと呼応するかのように、かれのほかの作品にはほとんど顔をださない敬虔で宗教的な空気が第2楽章を支配する。このこともブラームスに珍しく、もともとは「ドイツ・レクイエム」で用いる予定だった旋律を転用したので厳かなのも当然である。

ここでもバックハウスのテンポにまよいはなく、ベームの棒もしっかりとサポートしている。


というわけで、この曲はバックハウス、ベーム、ウイーン・フィルの1953年ものに勝るものはない、そう考える。















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# by hidyh3 | 2017-06-07 09:11 | Comments(0)

「君が代」改正

だれでも知っているカナダの国旗。


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じつはこれ、1965年にそれまでのものを国民投票によって変えたのである。変更前はこうであった。


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かつてはイギリス領だったので左上にイギリス国旗がえがかれていたが、独立した国家であることをあらためて示すためいくつかの候補のなかからメープル柄を国民がえらんで定められたのである。

おなじことをニュージーランドが昨年の春に実施しようとしたが、こちらは変更反対票がおおく否決された。賛否それぞれに意見があるのだろうが、こういうことを国民投票にゆだねるという精神は健全だし、国家も国民も賢くなければできないことである。

ひるがえって、わが日本。

かねがねわたしは「君が代」に違和感をおぼえている。さいきんも姪の卒業式と入学式で歌ったのだが、歌詞とメロディの双方とも承服しかねるのだ。

詞は「古今集」にある歌である。秀歌でもなんでもない、というよりむしろ拙い。雅さも巧みさもない。

きわめつけはメロディだ。

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音楽に心得のあるひとなら、このコード進行の不自然さ、あるいは旋律と楽節の区切りの数がおかしいので落ち着かなくなるだろう。「おごそか」といえば聞こえはいいがハッキリいえば抑揚がなくノッペリとしていてすわりが悪いのであり、とどめは最後の音が「レ」だということだ。言語でたとえるなら、

「わたしは今日、動物園に行きま」

というようなものである。

2020年にはオリンピック・パラリンピックがあるのだし、たぶん世界のひのき舞台で奏せられる場面も多かろうから、憲法よりもこちらを変えることのほうが喫緊の課題かと愚考つかまつりますよ、安倍総理!









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# by hidyh3 | 2017-06-04 12:54 | Comments(0)

年齢をかさねるに従って、あけてこなかった扉があまりに多いことに気づき、今ではそれらの扉をひたすら開くことが、わたしの生きることの証しです。               C'est la vie !!
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