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行かなくていい街

よかったのか悪かったのか判らないが、わたしは築地で産まれ神田で育ち14歳から板橋に住んでいる。

だから江戸っ子なのだが、2020年にむけて東京におびただしいひとたちが来ているし、さらに加速していくと思うので地元民からアドバイスを。

東京でぜったいに行ってはいけない街をご紹介する。

渋谷、新宿、赤坂、六本木。

理由はひとつ。街に品格がないのに妙なプライドがあるという、まぁどこの地方都市にもある猥雑さしかないからである。生粋の江戸っ子がいうんだから本当だ。

では何処へいけばいいのか。

銀座、神田、新橋、本郷、丸の内である。

この街には地方では味わえない雰囲気がある。

いなせ、っていうやつだ。







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# by hidyh3 | 2017-11-23 21:25 | Comments(1)

ほんものの美女のアイコンタクト

美しい女性はかなりおおい。

だが在世中で、しかも世界的に名が知れるほど才能に恵まれた美女となると、そうとう絞り込まれる。つまりモデルとか女優という「見てくれ」が美しい女性まで数えあげたら裾野がひろすぎるのである。

そういう厳しい条件をクリアした、かず少ない超美女にアリス=沙良・オットがいる。



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彼女の存在をわたしが知ったのは数年前の日曜日早朝。NHK・BSで放送されていたN響の演奏会であった。

曲目は彼女お得意のグリーグの協奏曲。

彼女を見たとたん、もう曲なんてどうでもよくなってしまった。

神さまは時々こういういたずらをする。絶世の美女にピアノの才能まであたえるなんて、ずるい。けれど、彼女を見ながらピアノコンチェルトを聴けるわたしは、だから神に感謝しなければならない。

カデンツァが終わるときなど、彼女がコンサート・マスターに目配りする瞬間は、もはや演奏を超えてしまっている。

美しすぎる演奏家というのも作曲家にしてみたら迷惑だよね。自分の作品より目立ってしまうのだから。







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# by hidyh3 | 2017-11-23 11:12 | Comments(0)

どっちを聴いてるの?

不思議なことにレコードとかCDといった録音されたもので音楽を聴くときには、ついぞそういう思いにとられることはないのだが、演奏会にいき素晴らしい体験をすると、

 「おれは今、曲に感動したのか、それとも演奏に感動したのか、いったいどっちだったんだ?」

ほぼ100%そう思う。

常識的にいうなら、知悉している曲で感動を呼び起こしてくれたのだから、そりゃ演奏がよかったからだろう、そうなるよね。

だがそういう意見は音楽に苦労してこなかったお気楽なひとの皮相な感想なのであって、現実はもうすこし込み入っているのである。




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# by hidyh3 | 2017-11-23 05:40 | Comments(0)

芝浦の電気屋

ことしの春、4ヵ月の休職中に日経新聞をとるのをやめた。


ひとつには読むほどの気力がなく (会社に行かないものにとって日経新聞なんて必要ない) 、日に日にたまっていく新聞の山に辟易したこと。


もうひとつはインターネットの無料会員でもその気になれば必要にして充分な情報がえられることである。そもそもわたしは新聞を読むという行為がむかしから苦手で、だから宅配されていたころから土曜と日曜のぶんは積読(つんどく)だった。


わたしの出社は早いので、始業時間にはその日の朝刊の内容はほぼインターネット配信のもので満たされている。ネット配信のさらにいいところは昼版と夕版もタイムリーに届くので、いまのように終日机のパソコンを眺める身にはそのときどきの世の流れを知ることができるのである。


きょう昼飯を食べ終えて配信をみると、東芝がサザエさんとTBSの日曜9時のドラマのスポンサーを降りる、とあった。想定どおりだが、わたしの世代のひとには少なからずひとつの時代の終わりを象徴しているといえるだろう。


かつてサザエさんは番組の始まるときに「この番組は東芝がおおくりいたします」とサザエさん自身が伝えていたし、TBSのほうは「東芝日曜劇場」というそのままズバリのタイトルだった。昭和を代表するあまたの名テレビドラマがここから誕生したものだった。


さて「東芝」というのは「東京芝浦電気」が略されたものだということを今はどれくらいの人が知っているのだろう?


白熱電球は東京芝浦電気のシンボルであった。高度経済成長のころ、庶民の生活レベルをあげるとともに日本という国をけん引してきた名門であった。ついでにいっておくと東芝は三井グループで、ライバルである三菱の中核をなす三菱電機に対抗していたのである。かつて三井グループの幹事会社を営業として担当していたので三井と三菱に関しては徹底的に勉強した。三菱重工の相手は、というと知らないひとは「?!」となると思うが、跡地が話題になっているIHIなのである。



以前にも書いたが、日本はいまさまざまな部分でほころびを見せている。


旬を過ぎ、自然治癒する体力ももはやない。妙なたとえだが、明治維新からこんにちまでの150年間に一流アスリートをめざして猛練習に明け暮れ、身もこころもボロボロになってしまったように思われる。


たとえば日本が目標にしてきたヨーロッパは「努力は美徳だ」というセンスをもともと持っていないから150年前もいまもたいして変わっていないし、無理に変わろうなどと露ほども考えていない。したがって結果としてサステナブルな社会なのである。


これは国民性であり文化だからどうしようもない。

昨今はやりの「働き方改革」の根もそこにある。したがって、日本人の働きかたは変わらないし変えられないだろう。








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# by hidyh3 | 2017-11-22 14:24 | Comments(0)

そして誰もいなくなった

勝安房守とはまったく逆で、このところわたしの周囲からどんどんひとが遠ざかっていく。


理由はハッキリしていて、わたしの暴言とか理由なき言いがかりのためである。じぶんの感情がおさえられなくなってきているのだ。


かつてのわたしは、どちらかといえばおとなしく言いたいことがあってもグッとこらえるタイプの人間だったのに、最近は必要以上に話しをデフォルメし、相手が不愉快になるだろう表現をえらんでいい放つ確信犯である。


・・・どうしてこんなふうになってしまったのだろう。


確信犯とはいっても、それは表現するさいのコトバ選びに属するもので、根本にあるのは自身の感情をおさえられないわけだから「感情失禁」と評してもいいと思う。「感情失禁」というのは立派な老化現象だから、つまりは醜く老いつつある、という見たくない現実なわけだ。


わたしのこころを仔細に調べるとあらわになるのは「劣等感」であり、そのヴァリエイションとしての「傲慢さ」であり、「自己中心的発想」と「わがまま」と、そして「いい恰好しい」の「自信家」なのである。


別にことさら悪ぶっているわけではない(そんなことをして何の意味がある?)


うえにあげた感情とか資質というものは量の多少に差はあるだろうが、おそらくたいていのひとも有しているものと思う。ただわたしのばあいに特徴的なのは通常値がひどく高い、あるいは程度が深いということで、ふつうに振る舞っているつもりがじつは常軌を逸しているということの連続なのである。


これはたいへん恐ろしいことで、犯罪者に共通する心理なのではあるまいか・・・


こんな厄介者に「感情失禁」のうえ「認知症」がくわわったら、もはやそこにいるのは人間ではない。


う~ん、家族にこれ以上の迷惑はかけたくないよなぁ。









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# by hidyh3 | 2017-11-15 12:36 | Comments(2)

行蔵は我に存す

以前、勝安房守を頼ってじつにたくさんのひとたちが集まってくることを書いた。


それはかれが「徳」を有しているからと述べたが、「徳」なんていうとまるでザラストロのようだからいい換える。


正しく書くなら、勝安房守の先進的思想と地球儀を俯瞰するような意見をみな求めにきたのである。


かれは咸臨丸でアメリカへいってから武士という特権階級はもはや時代遅れだと痛感した。したがって「武士道」やら「もののふ」という存在は早晩ほろびるし、またそうでなければならないと考えるに至る。


だから福沢諭吉が「痩せ我慢の説」で武士の心構えについて安房守を糾弾したとき、「我に関せずと存じ候」と突っぱねたわけだ。


カビのはえたような思想にかれは痩せ我慢できなかったのである。






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# by hidyh3 | 2017-11-14 13:58 | Comments(0)

いろいろあるね、人生は・・・

今日すこしばかり精神的にまいってしまうことがあり、まだ気持ちは沈んだままである。

ベートーヴェンを聴いたり勝安房守の評伝を読んだりと、それなりに格闘しているがこころは萎えたままだ。こういうときは身体をうごかすのがいちばんいいのだが、何しろ寒いし風が強いから部屋に閉じこもっている。それがまたよくないのだが。

けれどもわたしは知っている。

このての、精神的ダメージを癒してくれるのは、時間だ。

だから早く明日がくるように、そして次の日になるように、願っている。





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# by hidyh3 | 2017-11-12 14:48 | Comments(0)

前へ進む

一歩でも、その半分でもいいから前に進むんだ。

だから、いままでのしがらみを、未練はたくさんあるけれど、捨てる。

苦しいね。でも、いつか忘れる日がおとずれるだろう。






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# by hidyh3 | 2017-11-12 06:40 | Comments(0)

こんにちは ー さようなら

挨拶ができない人間がわたしの周囲にはおおい。


職場のせいなのか、会社のせいなのか、あるいは育ちのためなのか世の中がそうなのかまったくわからないが、現実である。

こんかいトランプ大統領がアジアを歴訪しているが、夫人のイヴァンカ氏が会談に同席しているさいに足を組んで腰かけている写真をずいぶん見た。そのむかし、オバマ前大統領も首脳とならんで話すときにもやはり足を組んでいたものだった。

足を組む、ということは相手に敵意や警戒心をわたしはいだいていませんよ、というサインなので、失礼でもなんでもない。足を組んでいたらその場から逃げ去るのに手間取ってしまうから、わざとそういうポーズをとるわけだ。

日本人にはそういう習慣や感覚がほぼゼロなので、理由をしらないと「なんて無作法な!」といぶかるひとも少なくなかろう。

同じようなことが会ったときの挨拶にもいえるので、たとえばわたしたち日本人はどこかの商店やショップに入るとき「こんにちは」とか「おじゃまします」などというだろうか?

こちらがかりに無言でも店側はかならず「いらっしゃいませ」というだろうし、さらには「どういうものをお探しですか?」とおおきなお世話までやいてくれるはずだ。

フランス語を学んでいたとき、授業の始まりはかならず「Bonjour ! Comment allez-vous ?」であったし、教師によっては30人ちかくいる生徒一人ひとりにファーストネイムで呼びかけて「Bon
jour ! Comment allez-vous ?」とかならずきた。

この挨拶というのも礼儀というよりは先ほどの足を組むのと似ていて、こちらはあなたにこころを開いていますよ、というサインである。だからフランスで商店に入るときには、まず客のほうから「Bonjour、monsieur!」か「Bonjour、madame!」といわなければまともに相手にしてくれない。そのことは教師からもずいぶん聞かされたし、わたし自身がパリで経験したことでもある。

多民族国家というのは、まず相手との距離をちぢめるという行為が始まりなので、ほぼ単一民族で構成されている日本では理解に苦しむ現実だ。

「Est-ce que vous avez des questions?」と尋ねられて毎週無理やり質問をしたことは以前にもかいたが、いずれにせよ黙して語らず、というのはまともな人間とヨーロッパでは見なされない。

そのことを不自由ととるか、健全とみなすか、まぁひとによって異なるだろうが、わたしはとてもまともで、かつ常識的だと考えている。

さて、そういう与件のなかで冒頭の挨拶しないひとびと、である。

朝の挨拶、でかけるときの「いってきます」「いってらっしゃい」、帰社したときの「ただいま(戻りました)」「おかえりなさい」、わたしは周囲数メートルにいるひとには、親しかろうがそうでなかろうが100%声を発する。もう意地みたいなもので、ほとんどの場合無視されるが、わたしは毎日つづけている。

これがわたしの職場、ないしは会社だけのことならダメな会社ということだし、育ちの故ならそういうひとたちが入ってくる会社、ということだし、そういう世の中なのだとしたら日本はもうダメだろう。

つまり国連で2015年に採択された「SDGs」なんて日本には関係ないということになる。







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# by hidyh3 | 2017-11-10 15:37 | Comments(2)

精神の洗練

前回このテーマについて書いたので、つづきを認める。

よく使われる例えとして、「百発百中の大砲一門と、百発一中の大砲100門のどちらが有利か」というのがある。

このことを「知識」に置き換えていうなら、メディアで聞きかじっただけの表層的情報をいくつも持つものと、何百トンもある旅客機が空を飛ぶというただそれだけのメカニズムを100%知り抜いているひとのどちらと話したいか、まぁ雑駁だけれどそんなところではないか。

このばあい、浅薄ではあるがいろいろと知っている者のほうが頼りになる、と思うかたもおられるだろう。それはそのとおりで、わたしもそのての人間のおかげで終電に乗りおくれることなく無事に自宅のベッドで寝ることができた。

だが、敢えていってしまうが、そういう奴は便利屋でしかない。失礼だけれど、ただの道具なのである。

対してひとつのことを徹底的に考え知り抜いている奴はといえば、ひとつのことを知り抜こうとするとそれを幹とし、いろいろな方面に枝葉が延びていって、結果として一本の木がいつしか広大な森となっている。しかもそれらすべてに精通し考え抜かれているからほぼすべての知識を有している。

したがって、全方位的な知の巨人となる。

精神の洗練とは、だから量のことではなく質のことをいうのだが、結果として量も質も兼ね備えることとなるのだ。

さらには、精神が洗練されると、立ち居振る舞いといった外見的なことまでもが、程度の差はあるがスマートになってくるものだ。ひといずくんぞ隠さんや、である。










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# by hidyh3 | 2017-11-03 07:57 | Comments(0)

洗練

洗練されたものが好きである。

むろんこの場合は、綴っている本人が洗練されているか否かは棚のうえに上げておく。

洗練されたものというのはいろいろな分野に存在しているから、あれ、とか、それ、などと簡単に指摘することはできない。

まぁ、一般的には身なりとか立ち居振る舞いに関することをいうのだろう。

だがわたしは、違う。

ラ・ロシュフーコー風な言いかたをするなら、外見を洗練しようと試みたひとをみることは少なくないが、洗練された精神をもったひとと出会うことはほとんどない。

…とまぁ、こんな感じかね…?


彼から罵倒されたくないので、わたしは一所懸命に精神の洗練をこころがけている。

具体的にどうしているのか!

とても長くなるので、また次回に…











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# by hidyh3 | 2017-10-27 15:31 | Comments(0)

美少女


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NHKで放送されている「土曜時代劇」あるいは「土曜ドラマ」は質にたいへんバラつきがあるので、初回でみるのをやめてしまうのがある一方で、毎回くぎづけになってしまう秀逸なものもある。

いま流れているのは「アシガール」というナンセンスなもので「くだらない」と断ずるひとも多かろうと察するのだが、わたしはくぎづけになってしまった。

主人公を演ずる女優にノック・アウトされたのだ。

彼女 - 黒島結菜という女性をわたしはいままで知らなかったのだが、このドラマの第一回目ではじめて眼にして凍りついた。

もう二十歳なのだから少女というのはふさわしくないが、でも「美少女」という表現は彼女のために存在する。

さらにわたしを叩きのめした事実は、この美少女が糸満出身だということだった。


縁だな、これは。…いや、歴史の必然なのかもしれない。






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# by hidyh3 | 2017-10-15 10:02 | Comments(0)

月九

念のためにことわっておくが、わたしは古いものならなんだって良くあたらしいものはすべからくダメだという時代錯誤の人間ではない。むしろ形骸化し古ぼけた行事や習慣などはすすんで排除し合理的な方法を好む革新家ですらある、とおもっている。

したがってスマートフォンが爆発的に普及し子供からオトナまで寸暇を惜しむがごとく、ところかまわずいじくり回していることも、わたしはやらないが、否定するものではまったくない。

なんども書いているように得るものがあればかならず失うものがあるが、得たものの価値と失ったもののそれとが等価であることはほとんどない。だれだって便利なほうをえらぶから得たもののほうが高価値だとおもっている、けれどそう思っているだけだ。

失ったことによるダメージは、そのモノやコトによって大小や表在化するまでの時間に差があるけれども、スマートフォンの生活への浸透はその利便性と広がりのスピードに比例してたいへん速くダメージがあらわれているように思われる。

かつて「トレンディ・ドラマ」というのがはやった。

おおくの女性や男性がいまでは想像できないような影響をうけたものである。ドラマにそれだけの魅力があったのと時代が、世相が浮かれていたからであろう。

「東京ラブストーリー」をその嚆矢とするのにどなたも異存はないとおもうのだが、あのドラマの最大の見せ場となるシーンは、スマートフォン、いやそもそも携帯電話が存在していたら成立しないのである。

古今の恋愛ドラマの肝になる場面というのはだいたい女性と男性のすれ違い、互いに連絡がとれないということからくる誤解や懸念にあるので、それがこちらにはわかっているからこそ見る側がイライラしハラハラするわけだ。

そうなると恋愛ストーリーを成立ならしめているおおきな要素がぽっかりと抜けてしまったわけで、もちろん今様にアレンジしたり、ぎゃくにスマホや携帯を仕掛けにつかうことになるのだろうが、テレビドラマというものを今のわたしは見ないのでなんともいいようがない。

とはいってもそもそも恋愛というのは女と男の心もちにその根があるわけだから、スマホだの携帯だのというのは、ドラマにとってはファッションスタイルが変わった程度の影響しかないのかもしれない。

そう、「源氏物語」がいまでも一流の恋愛小説であるように。









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# by hidyh3 | 2017-10-12 17:07 | Comments(0)

眠れない夜

うつ病から不眠症になってもう12年が経つ。

はじめのころは睡眠導入剤と睡眠薬のあわせ技でグッスリと眠れたものだが、さすがに12年ともなると同量を服用してもキッカリ3時間で覚醒する。中途半端な時間だからそこで再び薬をのむ。結果として処方薬のなかで眠剤だけが不自然に減るのである。

時間をかってに使える立場ならクスリに頼らず音楽を聴いたり本を読んだりして過ごせば味わいのあるひとときとなるが、会社にいく身ではなかなかむずかしい。

もともとがペシミスティックな性格ゆえ、ベッドのうえで考えごとをしていると明るい未来はえがけない。

だからこうしてウイスキーをやりながら独りごちることになる。

おとなの流儀といえばいえなくなもない…か








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# by hidyh3 | 2017-10-10 02:28 | Comments(0)

YouTubeのありがたさ

著作権の問題などですぐに削除されてしまうものも多いが、わたしはYouTubeにはたいへんお世話になっている。

すでに廃盤になってしまったレコードだとか、興味はあるけれど期待を裏切られたら散財だな、とおもう演奏家のものがアップされているからである。すごいのになるとスカラ座での公演を最初から最後まで見られるものもある。まぁ、それとてレコード会社の網の目にひっかかって削除されることもしぱしぱだが、しばらくたつとまたアップされているのが面白い。

わたしは20世紀初頭から中ごろのもの、いわゆる「歴史的名演奏」というのを楽しんでいる。

さいきん欣喜雀躍したのが、ルドルフ・ケンペ指揮、ロイヤル・フィルハーモニーオーケストラによるブラームスの第4シンフォニーがアップされていたことであった。この演奏はわたしが中学2年生のときに買ったレコードで当時としても金のかかっていないペラもののジャケットにいれられただけの、みるからに廉価版であった。これはわたしの購入した3枚目にあたるもので、それまではヘンデルの組曲と合唱の名曲集といういかにもクラシック音楽入門者のきくレコードばかりだったので、そろそろ本格的なヨーロッパ古典音楽のとびらを開こうとして購入したのだろう。

ふつうであればカラヤンとかワルターなどを選ぶところではあるが、なにしろ知識が皆無だったのと金がないので、いかめしいブラームスの交響曲に大枚をはたくことはできず、当時たしか1,000円だったように覚えている。

ルドルフ・ケンペは中堅の名指揮者としてその立場を確立していたが、ロイヤル・フィルというのがいかにもあやしく、いまでも廃盤である。

ただなにしろ盤面が擦り切れるほど聴きこんだので、この演奏がわたしの基準となっている。

その後いろいろと探してみたが世にでてはいなく、わたしは記憶のなかの演奏で我慢するしかなかったのだが、つい最近YouTubeにアップされているのをみつけ感無量であった。とくに第1楽章のエンディングはわたしが40年間以上求めてきたテンポだったので故郷に帰ったようであった。

このケンベもいつまでつづくか判らないから聴けるうちに徹底的に聴いておこう、そうおもっている。














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# by hidyh3 | 2017-10-08 01:36 | Comments(0)

正しい者はつねに勝つ?

知り合いのFacebookをのぞいたらこうあった。


  秋晴れの中、気持ちの良いランニング。時折、金木犀の甘い香りを嗅ぎながら(^^)

  2017年度も折り返し、どんな環境であってもやれる事をしっかりとやるだけ。頑張るぞ!


ひとはだれだってそうやって毎日を生きている。けれどそう簡単にいかないからあちこちで衝突し、挫折し、悲嘆のどん底へ落とされてしまう。

このての、集会などのエンディングでよくあるプレッジ、あるいはシュプレヒコールのごときを、わたしは徹底的に嫌悪する。

勇気の押し売りはやめてくれ。







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# by hidyh3 | 2017-10-04 13:04 | Comments(0)

選挙がくる

8年のあいだ毎週語学学校にかよいフランス人のインテリたちとかかわってきたので、留学というには無理はあるものの、それでもフランス人の考えかたの方向性、あるいは発想などはそうとうの影響を受け、その知識をもってパリに2度いったのでわたしの精神の半分ちかくはフランス化している。


ここでいう「フランス化」というのは無理やりフランス的な発想をしようと自分を強いるのとは逆で、しぜんとフランス的な思考回路になる、という意味である。


具体的な例をあげよう。


スーパーなどのレジ係りの対応がひどく異様にうつる。地下鉄のなかが、あるいはホームで待つひとたちがひどく温厚かつ静謐である。車内アナウンスもやたらと丁寧かつ親切などなど、簡単にいうなら、とても他人にたいして優しく思いやりにみちているのである。


さいきん、ごくたまにではあるが、そういう心づかいが煩わしく感じられるときがある。あるいは過保護といいなおしても伝わるだろうか。


もちろんわたしもれっきとした日本人だから礼にたいしては礼をもって応えているが、あたまのどこかで「こういうことに意味あるのかなぁ」という声がする。「お客さまは神さまです」という言い回しが流行ったのはもうずいぶんと昔のことだが、いまではそれが常識となり客のほうも「こっちは客なんだから」という居直りがある、と感ずる。


以前にも書いたとおり、日本ほど安全かつ安心な国はないだろう。そして財布を落とした馬鹿なわたしのもとに、現金は抜かれていたものの、大切にしている財布がクレジットカードともども戻ってきたのだから、日本にたいしてそんな悪態をつくのはおかどちがいなのはよく判っている。


しかし、である。


上述のごとき過度なサービス競争のために、まず宅配の領域が破たんした。これは氷山の一角であり「おもてなし」という美名によって犠牲を強いられている業種はいくらでもある。


パリで買いものをして何回も不快な経験をしたが、いまから思えばそれはわたしのメンタリティが多分にまだ日本人のそれだったために起きたので、現在ならあのときほどの不快感は湧きあがらないだろう。


さらにつけ加えるなら、わたしは日本人であり、いくらフランス人に親日家が多いなどといってもそれは一部のことで、かれらが東洋人を見くだしていることは間違いない。


これはもうどうしようもない。まさに諦めるほかはない現実なのだが、こういう被差別側のセンスというのはうっかりすると排他的な攻撃的ナショナリズムに変化してしまう ちょうど幕末の攘夷派のように。


ヨーロッパではいま極右が台頭してきている。まだなんとか抑えこめているが、なにか別の火種がこの先あったとすると、第3次世界大戦になってしまうだろう。


きたるべき衆議院選挙は、たかが東洋の島国のこととはいえ、そういう危うさを念頭においてわたしたちは主権在民という権利を行使しなければならないのである。










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# by hidyh3 | 2017-09-28 14:39 | Comments(0)

集団の旬

食材はもとより個人にせよ組織にせよ、なにごとにも「旬」というものがある。そして「旬」をすぎてしまったものは何がしかの加速度を無理にでもかけて質なり方向なりを変えなければ衰退し滅びる。


生きもののばあいは最後に死という不可避な深淵がまっているので徹底的に自己変革や改造をおこなってもけっきょく死ぬわけだが、それでも老いさらばえて無惨に果てるのと羨まれ惜しまれつつ死ぬという違いはあるだろう。そして人間は、幸か不幸か体力や知力の低下などによって、すくなくとも本人はじぶんの人生が「旬」をすぎ下降線をたどり始めたことに気づくはずである


やっかいなのは企業とか組織とか、もっと広げるなら国家など、それ自体は精神活動をしない集団である。


そこに所属し統率力をもった人間が鋭敏な感覚と判断力を併せもっているのなら、集団が「旬」を過ぎたことを察知して何がしかの手をうつに違いない。


くりだした手段のもたらす成否はときの運や風向きにもよるからそれについての質的な良し悪しは歴史がくだすだろうが、ここで重要なのは感じ取った劣化の始まりにたいして行動するというそのことである。


逆にいうならそういう英断ができる人間が不在の集団は要する時間に違いはあっても確実に滅びる。


わたしの勤務する会社の後輩が辞めることを書いたが、かれがどこまで察知していたかは判らないけれども、この会社というのは上述した滅びへの坂を一直線にくだっている典型なので、かれは賢明だ。


わたしは来年の定年にむけ密かに「柊活」にはいっていて、サーバーに格納してある14年前の発表用資料をみつけた。見てみるといまの危機的状況についての認識がすでにされており、それへの対応策も述べてあった。われながらに卓見である。


残念ながらとうじのわたしは一介の営業マネジャーだったので会社を動かすチカラがなかったが。


じつをいうとわが日本に、わたしは同じものを感じている…










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# by hidyh3 | 2017-09-22 10:05 | Comments(2)

ドーダの感想

鹿島茂氏の「ドーダの人、小林秀雄 わからなさの理由を求めて」はさいきん読んだ本のなかでも抜群におもしろかった。


なにしろ小林秀雄という一流のネタを切れ味するどい包丁で叩きまくるのだから痛快である。いわば小林秀雄のなめろうだ。


あの難解な小林の文章はいまでもわたしを苦しめているが、そしてそれはわたしの知力が足りないからだと思い続けてきたのだが、鹿島氏は、小林秀雄の文章を理解できるほうがどうかしていると断ずる。


日本語としても支離滅裂だし論理もなにもあったものじゃない。あれはただ単に小林秀雄が「どーだ、おれはこんなにいろいろものを知っている超インテリなんだぞ、まいったか!」といいたいだけだ、というのである。いやはや、スゴイ意見だね。


おもいかえせば中学生のころ、ブルックナーと小林秀雄を理解することが、学校の成績の良し悪しと関係なく時代の先端をいく恐るべき子供たちの仲間入りとされており、いちおうクラシック音楽を愛するわたしとしては半強制的に彼らからブルックナーと小林の理解をもとめられていたのであった。この2人を解さないというのはすなわちバカだという高度ないじめのような雰囲気のなか、帰宅しては巨大な軟体動物のような音楽に集中し、レコードの針をあげるとつぎは小林秀雄の文章と格闘しなければならなかった。


フランス文学など触れたこともなかったので小林の語ることは二重にも三重にも不可解であったが、だからといって「徒然草」や「西行」もよくわからず、わたしの好きなモーツァルトにおいてはわたし自身を疑わなければならない始末であった。


つい先ごろ何十回目かの「モオツァルト」挑戦をこころみ、けっきょくのところ小林秀雄はモーツァルトについてなにも語ってはいないじゃないか、そうおもった。


道頓堀をさまよっているうちにK.550のテーマが頭のなかで鳴ったというレトリックにだれもが幻惑され、果ては「tristesse allante(走るかなしみ)」などとすごい表現があらわれ、しかも自分の心持ちを言い当てられて驚いた、そう書かれるとそのクインテットを知らなかったことと相まってモーツァルトを聴くのが憂鬱になったものである。


小林秀雄が抽象的な表現を好んで書いているという批判は初期のころからあり、中野重治や坂口安吾のものが有名だが、こんかいの鹿島茂氏のように分析的かつ理性的な指摘は初めてだろう。

この本のおもしろさは単に小林の文体についての論評だけでなく、かれと同世代の日本人たちが日本近現代史の狂気を演出したという興味深い仮説を展開する。膨大な知識と教養に支えられた、久しぶりに知的好奇心をくすぐってくれる良書だった。









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# by hidyh3 | 2017-09-20 15:20 | Comments(0)

朝帰り

先週末は職場で親しくしている数少ない後輩の、内輪だけによる送別会だった。

本人とかつてのかれの上司、そしてわたしの3人でしたたかに飲んだ。その上司というのがわたしが初めて営業マネジャーになったときの最初のメンバーで、かれはわたしに少なからぬ影響をうけ、こんかい辞める本人はその上司をつよく敬慕していたので、落語の世界でいえば師匠 ー 1番弟子 ー 孫弟子みたいな関係だからいいたいことをいい飲みたいだけ飲むという理想的な送別の宴であった。

辞めることを決断した後輩は37歳、2人の子供がいるエネルギーと能力に充ちた逸材である。とうぜん悩みに悩んだすえの決断だと思ったから、何よりもまずその勇気と意思をわたしは賞賛した。

そしてさらに素晴らしいと思ったのは、いまいる会社の今後の成長性とそれを左右する経営の判断の不透明さ、そして一所懸命に努めるものが報われないという負のスパイラルを正確に見てとっていることであった。

まだ若かったころ、わたしも多くのサラリーマンがそうであるように「辞めてやる!」毎日思っては通勤をしていた。

いまから思えばそれはただの感傷なのであり、社会情勢だとか自社の経営方針をふまえてのことではないただの現実逃避であったのだが、今回の後輩の決断はもっと高度な現状認識と状況判断から導きだされた結論なので見事だとしかいいようがない。

おそらくいろいろな困難と困惑の波に翻弄されるであろうが、幸あれかし、と祈らざるをえなかった。

そんなわけではしご酒をし、ひさしぶりに朝帰りをした。そして嘔吐した。

ああ、わたしは入社直後の、ダメなサラリーマンのままなのだった。








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# by hidyh3 | 2017-09-17 13:35 | Comments(0)

年齢をかさねるに従って、あけてこなかった扉があまりに多いことに気づき、今ではそれらの扉をひたすら開くことが、わたしの生きることの証しです。               C'est la vie !!
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